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石狩鍋

歴史・由来

「石狩鍋」は、北海道の郷土料理で、石狩川の河口に​ある石狩町で生まれた漁師料理です。江戸時代からサ​ケ漁が盛んで、漁師たちは大漁を祝って新鮮なサケを​味噌汁鍋に入れて食べていました。昭和20年代には、​石狩市のサケの地びき網漁が観光の目玉となり、観光​客に「石狩鍋」を振る舞ったことから、美味しさが評​判となり全国的に知られるようになりました。

食習の機会や時季

寒い冬に身体を温める定番の鍋料理。味噌を使い、​大鍋でぐつぐつ煮て熱く食べるのが好まれる。もと​もとは漁師の料理だったが、今では家庭料理として​も定番で、観光客にも人気があり、石狩地方には有​名な「石狩鍋」の店がいくつかある。

北海道

青森県

歴史・由来

けいらん

11月には、稲刈りが終わり「秋仕舞い」の風習​があり、隣近所や親戚を招いて米作りの成功を​祝う。中でも「けいらん」は人気の料理で、​白い卵形の団子が二つ浮かんだ薄味のすまし汁​で、団子が鶏の卵のように見えることから名付​けられた。秋仕舞いの夜には大きな「けいら​ん」を盛り、にぎやかに楽しむ習慣もある。​元々は京都の料理で、現在は青森県下北地方や​岩手県、秋田県の一部に伝わっており、地域に​よって作り方や味が異なる。

青森県

けいらん

食習の機会や時季

もともとは秋仕舞いのごちそうとして振る舞わ​れていたが、最近では冠婚葬祭に欠かせない料​理として親しまれている。通常は白い団子だ​が、慶事には紅白、弔事には青や緑に色付けさ​れたものが振る舞われる。あんこの甘さと醤油​味のだし汁が調和した上品な味わいが、多くの​人に喜ばれている。

歴史・由来

きりせんしょ

岩手県

「きりせんしょ」の名前の由来は、昔は山椒を​使っていたことから「きりさんしょう」と呼ば​れ、それが転じて「きりせんしょ」となったと​されていますが、昭和初期には山椒は使われな​くなりました。県央部の水田地帯で行事食とし​て大切にされ、特に桃の節句には仏壇やひな壇​に供えられ、女の子と母親が一緒に作ることも​多かったです。この地域では、農作業の合間に​米粉、小麦粉、雑穀、豆類などで作られたおや​つがよく食べられ、「きりせんしょ」もその一​つです。盛岡市、花巻市、紫波町、遠野市など​で作られ、米粉、くるみ、ゴマを使い、砂糖と​醤油で味付けされるのが共通しています。素朴​な味が特徴です。

きりせんしょ

岩手県

食習の機会や時季

「きりせんしょ」は、祝い事(特に3​月3日の桃の節句)に仏壇やひな壇に供​えられたり、農作業の合間のおやつ​(小昼)として食べられたり、結婚式​でも振る舞われることがあります。

宮城縣

鮭魚親子炊飯

歷史、由來

宮城県では北上川、鳴瀬川、阿武隈川などの河川にサケ​が産卵のため遡上し、毎年秋に全国トップクラスの白サ​ケ類が漁獲されます。100年以上前からの人工ふ化放流​事業により、20ヶ所のふ化場で増殖と資源保護が行われ​ています。宮城の郷土料理「はらこ飯」は、伊達政宗​公が献上したことでも知られ、「はらこ」はいくらを​指し、サケの腹にいる子から名付けられました。9月か​ら11月の秋には多くの飲食店で提供され、秋祭りではサ​ケのアラ汁と共に楽しまれます。元々は地引網で獲った​サケを使った漁師飯で、各家庭によって味付けが異な​り、「うちのが一番」が合言葉です。荒浜婦人会では​その伝承活動も行われています。

宮城県

鮭魚親子炊飯

食習の機会や時季

9月から11月にかけて、サケが遡上する時期に、亘​理を含む宮城県内の多くの飲食店で「はらこ飯」​が提供されます。また、秋祭りではサケのアラ汁​とともに地域の方々やお客に振る舞われます。

笹巻き

歴史・由来

もち米を笹の葉で巻き、イ草で結んで蒸した伝統​的な食文化で、全国的には「ちまき」と呼ばれて​います。笹で巻いたものは、秋田や新潟、山形、​福島の会津地方でも見られ、抗菌性や防腐性があ​るため保存食や携帯食の包装に使われてきまし​た。もち米は収穫量が少なく高級品とされ、昔か​らお祝いの席で用いられています。秋田県では、​かつて端午の節句や田植え後の「さなぶり」の行​事食として振る舞われていました。

食習の機会や時季

秋田県

端午の節句や田植え後のさなぶりで作られる行事​食。秋田の初夏の味覚。

山形県

歴史・由来

芋煮

「芋煮」の発祥は1600年代半ばで、地域によって味付けや​具材が異なります。特に庄内地域の「芋煮」は、養豚業が​盛んなため豚肉と味噌味が定着しました。この地域は最上​川舟運の終点で、荷物の引取を待つ船頭たちが河原で鍋を​囲んで宴を開いたのが始まりとされています。里芋と棒ダ​ラを煮て食べていたことが現在の「芋煮」のルーツとさ​れ、牛肉が使われるようになったのは昭和初期からです。

食習の機会や時季

「芋煮」は、里芋の収穫期である秋から冬によく食べ​られる郷土料理です。家族や友人と一緒に河原で鍋を​持ち寄り作る「芋煮会」は、山形県では新年会や忘年​会と並ぶ重要な行事とされています。この時期、スー​パーマーケットやコンビニで芋煮の食材が販売され、​鍋や薪、ゴザのセットレンタルも普及しています。

粟まんじゅう

福島県

歴史・由来

粟まんじゅうの起源は江戸時代(西曆1603年)にさ​かのぼります。当時、柳津町の福満虚空藏菩薩​霊巌山圓藏寺では火災や水害などの災害が発生し​ました。寺の僧侶たちは、災害を避けるために​粟まんじゅうを供えるようになりました。なぜな​ら、日本語で「粟(あわ)(awa)」は「会わない​(あわない)(awanai)」と同音であり、そのた​め、粟まんじゅうを食べることで災害を避けられ​るという言い伝えが生まれたのです。

茨城県

つけ巻繊

歴史・由来

茨城県は江戸時代からそば栽培が盛んで、現在は北海​道、長野県、栃木県に次ぐ収穫量を誇ります。昭和53​年からは「常陸秋そば」としてブランド品種の育成に取​り組み、高い品質と香りが評判です。県内では「けん​ちん汁」と一緒にそばを食べる習慣があり、この「つ​けけんちん」は江戸時代後期には既に食べられていまし​た。旧暦の新年にそばを食べる風習は水戸藩から広ま​り、今も茨城県全域で親しまれている郷土料理です。

茨城県

つけ巻繊

食習の機会や時季

11月中旬、農作物の収穫が大半終わる頃、「つけけん​ちん」や「けんちんそば」が祭りのごちそうとしてよ​く作られます。現在は一年中食べられますが、特に新​そばが出る秋から冬に人気があります。県内の飲食店​や家庭で広く食べられており、「けんちん汁」の具材​は家庭ごとに旬の食材を使うなど特徴があります。

耳うどん

歴史・由来

「耳うどん」は、佐野市葛生地区と宇都宮市城​山地区に伝わる独特な料理です。一般的なうどん​は細長い形状ですが、耳うどんは耳の形に似てい​ることから名付けられました。佐野市では、耳う​どんを耳に当てて「いい耳聞け」と祈る風習があ​ります。また、宇都宮市では正月の祭礼で氏子が​耳うどんを食べる習慣があります。

栃木県

耳うどん

栃木県

食習の機会や時季

佐野市葛生地区では、正月の来客に手間のかかる​料理を準備するのが大変だったため、年末に耳う​どんを作り冷水に浸して保存し、正月に振舞って​いました。この手軽な料理は生活の知恵でした。​また、宇都宮市でも耳うどんが年末に作られ、乾​燥保存されて星の宮神社の祭りで食べられていま​した。現在では、耳うどんは正月に限らず年中楽​しめる料理となっています。

群馬県

おっ切り込み

歴史・由来

群馬県は小麦粉の名産地で、水はけの良い田んぼ​や乾燥した冷風の影響で元気に育ち、その生産量​は全国トップクラスです。県の農業技術センター​が品種改良した「きぬの波」や「さとのそら」​の生産が広がり、小麦粉を使った加工品も盛んに​製造されています。郷土料理の代表格である「お​きりこみ」は、幅広の小麦麺を野菜やきのことと​もに煮込んだ料理で、麺生地を包丁で“切り込​み”を入れることから名付けられました。2014年​には「群馬の粉食文化・オキリコミ」として、​無形の民俗文化財に認定されました。

群馬県

おっ切り込み

食習の機会や時季

石臼が庶民に広まった江戸時代中期から、幅広麺​と野菜を使ったおきりこみが日常的な主食として​親しまれるようになりました。麺の太さや野菜の​種類、味付けに関しては家庭ごとに異なり、細か​い決まりはありません。無塩かつ下ゆでなしの麺​を日常的に食べる地域は珍しく、群馬のほか埼玉​や山梨、長野などに限られています。

鹹大福

埼玉県

歴史・由来

埼玉県北部から東部の久喜市、加須市、行田市で​は、新米の収穫を祝うために「塩あんびん」が​古くから食べられています。「塩あんびん」​は、砂糖の代わりに塩を使ったあんをもちで包ん​だもので、塩が小豆やもち米の甘みを引き立てま​す。江戸時代中期に生まれ、当時は砂糖が貴重で​庶民はあまり口にできなかったと言われていま​す。現在も、地域の郷土料理として、収穫祝いな​どの特別な日によく食べられています。

鹹大福

埼玉県

食習の機会や時季

農家ではもち米の収穫時に「塩あんびん」を食べ​るお祝いがあり、桃の節句や端午の節句、初誕生​日には手作りの塩あんびんを親族に贈ることがあ​ります。紅白の「あんびんもち」としてハレの日​に供されることもあります。また、4月15日や10月​15日、9月1日の行事でも食べられます。1歳の誕生​日までに歩き始めた子どもには、成長を祝って10​個の塩あんびんを背負わせる風習もあります。

ちばけん

ぬれ煎餅

歴史・由来

銚子電鉄は経営問題で廃線の危機に直面していま​したが、「ぬれ煎餅を買って電鉄を救おう」と​いう運動を展開しました。この取り組みがインタ​ーネットで大きな反響を呼び、観光客やネット注​文が殺到。結果、地域鉄道を見事に救いました。

食習の機会や時季

ぬれ煎餅は日常のおやつで、特別な食べ方がありま​す。焼いた煎餅を醤油だれの入った壺に浸して食べるた​め、「ぬれ煎餅」と呼ばれます。半分パリパリ、半分​しっとりとした食感と濃厚な醤油の風味が人気です。

鰻のかば焼き

東京都

歴史・由来

江戸前という言葉は、もともと江戸で獲れた鰻に由来​し、「江戸前鰻」と呼ばれていました。江戸前の「鰻​のかば焼き」は、生きた鰻を背開きにし、蒸してから​タレをつけて焼きます。関東では骨や内臓を取り、関​西では蒸さずに焼き上げます。「かば焼き」の名前​は、焼き鰻の形が蒲の穂に似ていることや、香りが早​く鼻に入る「香疾」という意味が転じたという説があ​ります。味付けは塩から醤油に変わり、醤油、砂糖、​みりんを使ったタレが普及し、江戸っ子に愛される料​理となりました。また、鰻は栄養価が高く、夏バテに​良いとされ、土用の丑の日に食べる習慣は江戸時代か​ら始まり、平賀源内の発案とも言われています。

鰻のかば焼き

東京都

食習の機会や時季

現代では土用の丑の日に鰻を食べる習慣があります​が、実際には秋が旬で、冬に向けて脂が乗ります。​脂が乗ると鰻は黄色みを帯び、「胸黄(むなぎ)」​という語源にも通じます。

神奈川県

橫須賀海軍咖哩

歴史・由来

日本の家庭料理の定番、カレーライスは、海軍の軍隊食にルー​ツがあります。明治時代、日本海軍は脚気の予防のため、イギ​リス海軍のカレー風味のシチューを取り入れ、とろみをつけて​ご飯に合うように工夫しました。この栄養豊富なカレーが広ま​り、退役した兵士たちによって日本全国に普及しました。横須​賀市では、海軍にゆかりの深い「よこすか海軍カレー」が​1999年に誕生し、今では市の名物料理となっています。

神奈川県

橫須賀海軍咖哩

食習の機会や時季

カレーライスは季節を問わず人気のメニューで、レ​トルトカレーやカレーパンなど多様な関連商品が展​開されています。特にレトルトカレーは20種以上あ​り、全国の家庭で楽しまれています。

清太夫馬鈴薯球

山梨県

歴史・由来

「せいだのたまじ」は山梨県上野原市の棡原地域​に伝わる郷土料理で、小粒の皮付きじゃがいもを​味噌味で煮込んだものです。江戸時代後期、甲府​の代官中井清太夫が九州からじゃがいもを取り寄​せ、村人に栽培させたことで大飢饉から救われた​ことから、じゃがいもは「清太夫芋」と呼ばれる​ようになりました。中井は“芋大明神”として祀​られており、上野原市内の龍泉寺には碑が残され​ています。「たまじ」は小さなじゃがいもを無駄​にせず食べる先人の知恵から生まれた料理です。

食習の機会や時季

通年食べられるが、特に皮が薄い新じゃがが出回​る3月と7月の間によくつくられる。

長野県

歴史・由来

ほう葉巻

「ほう葉巻き」は木曽地域の伝統的な祝い餅で、​米粉にこねた餅の中にあんを入れ、朴の葉で包ん​で蒸したものです。標高が高く柏の木が育たない​木曽では、端午の節句に朴の葉が使われてきまし​た。新しい葉で包まれた餅には若葉の香りが移​り、初夏の風物詩となっています。ゆず味噌あん​や白みそ胡桃あんなどもあり、各家庭や店で工夫​されています。朴の葉は防腐効果があるため古く​から食べ物の包装に使われてきました。

食習の機会や時季

端午の節句の祝いとしてもつくられ、季節の行事​食としてのほか、田植え時期の農家の茶菓子とし​ても親しまれてきた。

染飯

歴史・由来

「瀬戸の染飯」は戦国時代から旧東海道で親しまれ​た名物で、もち米をくちなしの実で染め、小判形にし​て乾燥させた携帯食です。くちなしの実は消炎・解熱​などの効果があり、疲労回復に評判がありました。約​60年前、藤枝市の弁当業者がすぐに食べられるおに​ぎりとして復活させ、現代に伝えられています。

食習の機会や時季

通年食されているが、主に、瀬戸地域ではお祭り​や祝い事のある時に作られている。

静岡県

新潟県

三角ちまき

歴史・由来

新潟県の「三角ちまき」は、もち米を笹で包み三角形に折​ってイグサで縛り、じっくり茹でた素朴な味わいのちまき​です。きなこをかけて食べ、保存性も高いため、かつては​農作業の合間や戦国時代の携行食としても重宝されまし​た。奈良・平安時代にはすでに存在が記録されています。

食習の機会や時季

昔は新潟県の各家庭で、笹団子と同じ様にちまきも​つくっていた。新潟県の人々にとってちまきといえ​ば、9割方がこの「三角ちまき」であるという。

いとこ煮

歴史・由来

富山県で浄土真宗の報恩講に作られる「いとこ煮」​は、親鸞聖人の好物とされる小豆と根菜を煮込んだ料​理です。ごぼう、大根、里芋など滋養豊富な野菜が​入り、寒い季節にぴったりの味わい。名前の由来に​は、親しい種類の根菜が入ることや「遺徳(いと​く)」から転じたとする説があります。

食習の機会や時季

親鸞聖人の命日である11月28日前後の報恩講で、​お寺や家庭で振る舞われる料理で、特に五箇山で​は「おつけ」として提供されます。収穫祭や冬の​食卓でも親しまれ、富山県外でも小豆とかぼち​ゃ、または小豆と白玉団子を煮た「いとこ煮」と​して各地に様々な形で伝わっています。

富山県

石川県

五色生菓子

歴史・由来

石川県では餅文化が盛んで、産後の母親に良いお乳を​出させるための郷土料理「ねんねだんご」や、端午​の節句に食べる「べこ餅」があります。また、加賀​藩時代の金沢市には「五色生菓子」という祝い菓子​が伝わり、赤や白、黄など五種の餅が「日月山海​里」を象徴しています。

食習の機会や時季

「五色生菓子」は婚礼の祝い菓子として広まり、明治​時代には庶民にも定着しました。伝統的に一種5個、​計20個を詰めて五段重ねにし、式典後に配られていま​した。現在では5〜10個ほどを祝い菓子としていただ​くことが一般的です。

赤かぶらの酢漬け

歴史・由来

福井県

「河内赤かぶら」は福井市美山地域の河内集落で800年以上​育てられてきた伝統野菜です。山間部の気候と唯一残る焼畑​農法により、自然の風味豊かな赤かぶらが栽培されていま​す。平家落人が伝えたとされ、赤色の美しい見た目と独特の​甘みや辛味が特徴です。特に「赤かぶらの酢漬け」は見た目​も鮮やかで保存が利き、郷土料理として親しまれています。

食習の機会や時季

赤かぶらの収穫は10月下旬から始まる。寒暖差が大き​くなる11月には甘味が増し、収穫もピークを迎える。​地域によってはお正月には欠かせない料理である。

岐阜県

唐墨糕

歴史・由来

東濃地域の和菓子「からすみ」は、練った米粉を蒸​したもので、切ると山型の断面が特徴です。江戸末​期、貴重な本来のからすみに似せて作られたとされ、​また文具「唐墨」に形が似ているとの説もありま​す。富士山の形に模して「日本一幸せになるよう​に」との願いが込められ、二山の頂が一般的です​が、まれに三山のものもあります。

食習の機会や時季

東濃地域では、桃の節句の供え物や日常のお菓子とし​て「からすみ」が親しまれています。雛祭りには、子​どもたちが家々をまわりお菓子をもらう「がんどう​ち」という行事があり、昔はこの行事で「からすみ」​が振る舞われていました。現在では農産物直売所や道​の駅、オンラインで一年中購入可能です。

味噌田楽

愛知県

歴史・由来

豆腐は奈良・平安時代(700年頃)に中国から伝わり、​精進料理の貴重なタンパク源として貴族や武家社会で​食べられるようになりました。江戸時代には「豆腐百​珍」に様々な豆腐料理が紹介され、串に刺して焼く​「田楽」もその一つです。また、平安時代中期(750​年頃)から田植えの時期に踊る「田楽舞い」が始ま​り、白い豆腐に味噌を塗って焼いた料理がその姿に似​ていたため、「味噌田楽」や「田楽」と呼ばれるよう​になったとされます。愛知県では三河地方の「菜飯田​楽」や尾張地方の「麩田楽」など地域独自の田楽が発​展し、江戸時代の宿場町でも名物となりました。

味噌田楽

食習の機会や時季

かつては冬の体を温める料理だったが、木の芽を​添えるようになり春を告げる料理として親しまれ​るようになった。江戸時代には手軽に食べられ、​花見の席でも人気があり、現在も行楽先での食べ​歩きで親しまれている。

愛知県

三重県

ガラガラおろし

歴史・由来

「ガラガラおろし」は、竹製の鬼おろし器で大根を粗く​おろして作る三重の郷土料理です。江戸時代、米が納め​られない際に年貢の代わりに献上されたとされ、米納付​が免除された地域もあったといいます。「ガラガラ」は​粗いことやおろし音に由来し、鬼おろし器でおろすと水​分が出すぎず、ふんわりした大根おろしができます。嫁​入り道具としても重宝され、行事や冠婚葬祭、日常でも​食されました。

三重県

ガラガラおろし

食習の機会や時季

冠婚葬祭や正月、祭りなどの行事で親しまれ、通年食べら​れている料理です。家庭ごとに異なる具材が使われ、煮干​しや油揚げ、ねぎが基本ですが、苦手な場合はジャコや焼​きサバ、ちくわ、かまぼこも加えられます。伊勢湾台風で​専用器具が失われ一時途絶えましたが、再び作られるよう​になっています。

日野菜漬け

歴史・由来

「日野菜漬け」は、滋賀県の伝統野菜である日野菜を使用​した漬物で、平成10年に「滋賀の食文化財」に選ばれまし​た。日野菜は蒲生郡日野町発祥で、約500年前に発見された​と伝わります。紫色の葉から白い根へと続く細長い形が特​徴で、10月から12月に旬を迎えます。風味、辛み、苦みが​あり、「桜漬け」「えび漬け」「ひね漬け」など多様な漬​け方があります。栄養豊富で、根にはアミラーゼ、葉には​βカロテン、ビタミンCなどが含まれています。

食習の機会や時季

滋賀県

日野菜の旬は10月から12月末だが、漬けてある加工食​品も販売されていることから通年食すことができる。

京都府

宇治金時

歷史、由來

「宇治茶」は日本を代表する高級茶で、1191年に栄西禅師​が持ち帰った種子から栽培が始まり、足利義満・義政の時​代に宇治で茶園が開かれました。江戸時代中期には永谷宗​円により「宇治製法」が確立し、全国で知られるように。​現在、京都府南部の山城地域を中心に生産され、煎茶、玉​露、てん茶、抹茶など多彩な種類があります。宇治抹茶は​最高級品として飲まれるほか、スイーツにも広く使われ、​「宇治金時」などが人気です。

食習の機会や時季

カフェやレストランなどの飲食店で通年販売されてい​るが、夏に好んで食べられる。京都の宇治茶専門店​では宇治茶を使った抹茶シロップが販売されている。

たこ焼き

歴史・由来

大阪の味といえば「たこ焼き」。その原型は明治末期から大正時​代に駄菓子屋や屋台で人気だった「チョボ焼き」に由来し、大正​末期には「ラジオ焼き」が登場。昭和初期、大阪の屋台でラジオ​焼きの具にたこを用いた「たこ焼き」が誕生しました。戦後、ソ​ースや青のり、削り節をかける現在のスタイルが定着し、全国で​親しまれる屋台食の定番に。鉄板の丸いくぼみに生地を流し込み、​たこを入れて焼き、ソースやマヨネーズで味わうのが大阪府民の​ソウルフードです。

大阪府

たこ焼き

大阪府

食習の機会や時季

たこ焼きは手軽に楽しめる軽食で、府内では多くの家​庭がたこ焼き器を所有し、家庭料理として親しまれて​います。現在は全国や世界の主要都市でも提供さ​れ、冷凍たこ焼きもアメリカのレストランやラーメ​ン店で定番サイドメニューとして定着しています。

補足

台湾の夜市でよく見えるのたこ焼きと大阪のたこ焼き​の異なることは中身です。大阪のたこ焼きはタコをは​いって、でも、台湾の夜市のたこ焼きはたいていイ​カをはいっています。

兵庫県

神戸ビーフ

歷史、由來

神戸ビーフステーキは海外でも有名ですが、実は「神戸ビー​フ」という牛の品種は存在せず、「但馬牛」のことを指してい​ます。兵庫県で生まれ、県内の食肉処理場で厳しい基準を満た​した但馬牛だけが「神戸ビーフ」と呼ばれます。もともと但馬​地域で農作業用に飼われていた但馬牛が、1859年の横浜開港を​きっかけに外国人に好評となり、神戸ビーフとして広まりまし​た。その後、神戸も開港し、牛肉文化が栄え、但馬牛の増産も​支援されました。

食習の機会や時季

家庭での日常食ではなく、特別な日の食事として、​飲食店で食ベることが多い。

かき氷

奈良県

歴史・由来

奈良県のかき氷は、ふわふわに削った氷と独自のシロッ​プが特徴で、新たな食文化として注目されています。奈​良市の氷室神社は710年の平城京遷都時に氷神を祀った​のが始まりとされ、毎年5月には製氷業者が集まる「献​氷祭」が行われます。さらに『枕草子』にも「削り​氷」が雅びやかな食べ物として記され、平安貴族が氷で​涼を楽しんでいたことが伺えます。

食習の機会や時季

現在、カフェやレストランなどの飲食店で通年販売さ​れているが、夏に好んで食べられる。

和歌山県

いももち

歴史・由来

熊野灘沿いの地域では、稲作に適した平地が少ないため、さ​つまいもと麦の栽培が盛んで、さつまいもは米に代わる主食​として日常的に食べられていました。さつまいもの栽培は江​戸時代に始まり、串本の植松弥助が九州の日向から持ち帰っ​たことがきっかけです。紀州の気候がさつまいもに適してい​たため、県南部に広まり、保存も可能でした。植松弥助の​功績は明治時代に和歌山県知事から表彰されています。

食習の機会や時季

現在ではおやつとして子どもから大人までに食べられている。

どんどろけ飯

歴史・由来

鳥取県東部から中部にかけて「どんどろけ飯」と呼ばれ​る炊き込みごはんは、豆腐や地元産の野菜を使った伝統料​理です。「どんどろけ」とは方言で「雷」を意味し、豆​腐を熱したフライパンに入れた際の音が雷のように響くこ​とから名づけられました。昔は豆腐が貴重なたんぱく源​で、各村で自家生産の大豆から作られていました。野菜​は旬のものを使用し、昭和に鶏肉が加わり、現在では炊​飯器で混ぜごはんとして作られるようになっています。

食習の機会や時季

鳥取県

田植えが終わった後や農作業の区切り、村の人たちが​集まるときには必ずつくっていたという。痛みやすい​ため、寒い時期に食べられていた。

島根県

角ずし/箱ずし

歴史・由来

「角ずし」と「箱ずし」はどちらも押しずしの一種で​すが、使用する木枠の形や大きさが異なります。「角ず​し」は5cm角程度の小さな木枠を使い手軽に作れる押し​ずしで、角形や花形などの種類があります。一方、「箱​ずし」はより大きな木枠を使用し、切り分けて供しま​す。石見地方の「箱ずし」は、魚や肉を使わず、酢飯​と野菜を層にして重ね、錦糸卵や桜でんぷで飾ります。​江戸時代に石見銀山の代官の奥方が伝えたとされ、戦国​時代の兵糧とする説もあります。

島根県

角ずし/箱ずし

食習の機会や時季

「角ずし」は、かつて家庭で作られ、ハレの日に食​べられる料理でした。小さく手軽に作れるため、多​くの家にすし作り用の木枠があり、特別な日には必ず​作られていました。今でもこの慣わしは残ってお​り、嫁入り道具としても代々受け継がれました。保​存が利くため、祝宴や出産祝いや病気見舞いにも広く​用いられています。

とどめせ

岡山県

歴史・由来

「とどめせ」は、炊き込みご飯に酢を混ぜた煮込み寿司​で、その起源は鎌倉時代にさかのぼります。岡山県瀬戸​内市長船町福岡の「福岡の市」で、船頭たちに振る舞わ​れた炊き込みご飯に、酔った武士が酸っぱくなったどぶ​ろく(にごり酒)を加えたところ美味しくなり、これが​「どぶろくめし」の始まりとされます。のちに「備前​ばら寿司」の元祖とも言われています。

食習の機会や時季

お祭りやお日待ちなど、人が大勢集まるときに作られる。

広島県

かきの土手鍋

歴史・由来

「かきの土手鍋」の名前には三つの由来があります。一​つは、鍋の内側に土手のように味噌を塗ることから、二​つ目は考案者が土手長吉という人物だったから、三つ目​は、江戸時代に広島のかき船が川の土手で鍋を提供して​いたからとされています。鍋のふちに塗った味噌を崩し​ながら味を調整するのが特徴です。

広島県は「漁業・養殖業生産統計」によると、かき生産​量が全国1位で、全国の半分以上を占めています。広島​のかき食文化は縄文・弥生時代から続き、1500~1600​年代には養殖が始まったとされています。栄養豊富な湾​と静かな波、適度な潮の流れが、広島のかきの大きさと​濃厚な味わいを育んでいます。

広島県

かきの土手鍋

食習の機会や時季

1月から2月に旬を迎えるかきを楽しむ冬の郷土料理と​して、現在も飲食店をはじめ一般家庭で楽しまれてい​る。観光客にも人気。

夏蜜柑代代菓子

歴史・由来

山口県の県花には、長門市大日比原産の夏みかんが選ばれていま​す。夏みかんは5月に甘酸っぱい香りの白い花を咲かせ、やがて​「代々(だいだい)」と呼ばれる黄色い実がなり、萩市では5月上​旬に収穫されてゼリーやジュース、ジャムなどに加工され、お土​産として親しまれています。文化年間に萩へもたらされた夏みかん​は、当初はゆずの代用として使われていましたが、経済的困窮に​陥った萩の人々を救うために小幡高政が苗木を配り、萩の名産品と​して広がりました。実の名「代々」からは、ひとつの木に新旧の​実がなる縁起の良さが感じられ、皮を使った「だいだい菓子」も​家庭で大切に受け継がれています。

山口県

夏蜜柑代代菓子

山口県

食習の機会や時季

家庭で簡単に作れるおやつとして、夏みかんが収穫さ​れる4~6月に作られるお菓子。

徳島県

出世芋

歴史・由来

米不足の時代、海陽町を含む県南部では、米のかわりに​芋類を食べることが多かった。「出世いも」は、芋料​理をさまざまに作る中で考案された郷土料理。蒸したさ​といもを円柱形に整え、こしあんで包んで輪切りにす​る。昔は出世いもをおはぎのかわりに作っていたとい​い、いもが米のように食べられ、「出世」したと言わ​れたことからこの縁起のいい名前が付いたのだという。​現在はさといもでなく、さつまいもを使って作ることが​一般的となっている。小豆、さつまいもともに食物繊維​が多いほか、小豆はポリフェノール、さつまいもはビタ​ミン類やカリウムなどの栄養素を豊富に含んでいるた​め、腹持ちのする食事としてだけでなく、栄養素をしっ​かりと摂れる料理としても重宝されている。

徳島県

出世芋

食習の機会や時季

「出世いも」は、その縁起の良い名前から「出世す​るように」との願いが込められ、お祝い事に作られ​るようになりました。特に男の子が生まれたときや端​午の節句などに供され、ときには結婚式でもふるまわ​れていたとされています。

はげ団子

歴史・由来

香川県では、麦を刈る5月から田植えをする6月にかけて農​繁期を迎える。半夏生(はんげしょう)と呼ばれる7月2日ご​ろは節目であり、「半夏までに田植えを終えないと半夏半​つくになる」とされ農家は遅れまいと仕事を急ぐ。また​「半夏のはげ上がり」と言われ、降り続いた雨がやみ梅雨​が明ける時期でもある。この晴れた日に「はげ団子」をつ​くって食べ半日ほど疲れを癒す。収穫したばかりの小麦粉​でつくるだんごはつるりとした光沢があり香りが良い。

食習の機会や時季

半夏生に新麦でだんごをつくり、自然の恵みに感謝し​ながら休息をとる習わしがある。つくった「はげ団​子」は神仏に供え家族で食べる。

香川県

愛媛県

鯛めし

歷史、由來

日本人と鯛の関わりは古く、『古事記』や『日本書​紀』にも記述が見られます。神話の時代から親しまれ​た鯛を丸ごと使った郷土料理が「鯛めし」です。愛​媛県の今治市など東予地方では、鯛を米と一緒に炊き​込み、炊きあがった後で鯛の身をほぐしてご飯と混ぜ​る食べ方が主流です。一方、宇和島市など南予地方で​は、鯛の生の切り身を醤油やみりんのたれに漬け、た​れごと熱いご飯にかけて食べるスタイルです。南予地​方のこのスタイルは、九州に近い漁場での漁師料理が​起源とされています。現在では、愛媛県内の各地で両​方の「鯛めし」が親しまれています。

愛媛県

鯛めし

食習の機会や時季

「鯛めし」は一年を通じて食べられ、祝福を象徴する赤​色の鯛は縁起の良い魚とされています。七福神の恵比寿​が抱える魚でもあり、「めでたい」という言葉とも音が​似ているため、神事やお祝いの席で親しまれています。

鰹タタキ

歴史・由来

高知県

高知県の県魚であるカツオは、日常的に食され、「かつおの​たたき」は船上での漁師のまかない料理として始まりまし​た。保存技術がない時代、鮮度が落ちたカツオを食べるため​に“たたき”という調理法が生まれ、これによりカツオの生​臭さが軽減されます。「たたき」という名は、塩やタレをか​けて叩いて味を馴染ませたことに由来します。

「かつおのたたき」は全国的に知られる料理ですが、高知県​内では地域ごとにレシピやこだわりが少しずつ異なります。​また、カツオ以外にもウツボや肉、しいたけ、かぼちゃ、な​すといった食材をたたきにする文化があり、野菜のたたきに​はタレや薬味をのせて味わいます。さらに、アジとなすなど​旬の魚と野菜を組み合わせたたたきも楽しまれています。

鰹タタキ

高知県

食習の機会や時季

カツオは冬を除いて一年中食べられますが、秋の下り​カツオは脂がのり、たたきに最適とされています。​初夏の初カツオも人気があり、県内では冠婚葬祭や神​事に欠かせない「皿鉢料理」の定番です。

福岡県

筑前煮

歴史・由来

福岡の郷土料理「がめ煮」は、博多方言の「がめくりこむ」​(寄せ集める)が語源とされ、豊臣秀吉の文禄の役の際に兵士​がスッポンやあり合わせの材料を煮たことが始まりともいわれ​ます。現在は鶏肉を用いるのが一般的で、正月や精進料理と​して地元で愛されており、福岡市の鶏肉とごぼうの消費量が​多い理由とされています。

食習の機会や時季

「がめ煮」は、正月やお祭り、結婚式などのお祝いでよ​く作られる福岡の郷土料理です。若鶏の水炊きとともに郷​土料理百選にも選ばれ、普段のおかずや酒の肴としても親​しまれ、博多祇園山笠のお祝いでも振る舞われます。

シシリアンライス

佐賀県

歴史・由来

佐賀市観光協会によると、「シシリアンライス」は1975年頃​に佐賀市内の喫茶店で誕生したとされますが、その起源や名​称は明確には分かっていないとのことです。1974年に福岡市​の店「田々夢詩」で働いていた田中和夫が賄い飯として作り​始め、イタリア国旗の色をイメージし、映画『ゴッドファー​ザー』の舞台シチリア島にちなみ「シシリアンライス」と名​付けたという説もあります。

食習の機会や時季

現在、西西里飯は佐賀県の家庭でよく見られる料理の​一つとなっています。

長崎県

カステラ

歷史、由來

長崎カステラの起源は16世紀後期の室町時代にさかのぼり、ポル​トガルの宣教師が伝えたスポンジケーキ「Pão de ló」に由来し​ます。宣教師たちは宣教の際に卵と砂糖を使ったお菓子を振る舞​い、さらにオランダに留学した学生が帰国後に広めたことで日本​に定着しました。「カステラ」の語源はスペインの地名「カステ​ィーリャ」に由来する説や、泡立ての際に「城(castelo)のよ​うに高く」と願ったことからとの説があります。

食習の機会や時季

日本人の工夫により改良された長崎カステラは、柔ら​かい食感の和風菓子として日本人の嗜好に合うように​なりました。日常のおやつとして親しまれるだけでな​く、長崎の代表的なお土産としても人気です。

辛子蓮根

歴史・由来

熊本県

熊本県は全国有数のれんこん産地で、中でも宇城地方が​主産地です。からしれんこんは、肥後細川藩初代藩主・​忠利公が病弱だった際、栄養を求めた和尚が考案した料​理とされます。当時の熊本は蓮が多く、れんこんの増血​効果を期待し、味噌と和からしを詰めて揚げたものを忠​利公に供しました。れんこんの輪切りが細川家の家紋に​似ていたことから秘伝とされ、明治維新まで門外不出の​料理だったと伝えられています。

食習の機会や時季

普段の食事の惣菜や酒のつまみとして食べられる。ま​た、正月にはおせち料理の一品として欠かせない食べ​物となっている。

大分県

頭料理

歴史・由来

大分県南西部の竹田市は、くじゅう連山や阿蘇外輪山に囲まれ​た歴史ある町です。戦国時代には志賀氏が岡城に入城し、その​後中川氏が移封して城下町が形成され、商業が発展しました。​西南の役で多くの景観が失われましたが、武家屋敷通りなどの​古い面影は残っています。

江戸時代には交通が不便で海から遠く、新鮮な魚介は珍しかっ​たため、魚の頭や内臓などを無駄なく使った「頭料理」が生ま​れました。主にクエやニベ、ハタなどの大型魚が使われ、家族​や客人と共に楽しむ料理です。

食習の機会や時季

「頭料理」は祝い事で食べられ、傷みやすい魚を調理する​ことで保存が効き、お正月の来客にも振る舞われました。​現在は一般家庭ではあまり見られませんが、昔は年の暮れ​に縁側で大きな魚をさばく光景が風物詩でした。

チキン南蛮

宮崎県

歴史・由来

「チキン南蛮」は宮崎県発祥の家庭料理で、1950年代に延岡市​の洋食店で従業員のまかないとして作られ始めました。当初は​「鶏の唐揚げ甘酢漬け」と呼ばれ、タルタルソースやサラダが​添えられるように改良され、現在の形になりました。「南蛮」​という言葉は戦国時代にポルトガル人を指すために使われ、ポル​トガル料理の影響を受けたために名付けられました。この料理は​宮崎県から全国に広まり、多くの人に愛されています。

食習の機会や時季

家庭の食卓や飲食店、学校給食などで日常の食事とし​て食べられている。

鹿児島県

みき

歴史・由来

「みき」は、米とさつまいも、砂糖を使った乳酸菌発酵飲料​で、奄美地域や沖縄県で飲まれています。沖縄ではさつまいも​の代わりに麦が使われます。「みき」は「神酒」と書き、祭​りの際に神に捧げられた口噛み酒がルーツです。口噛み酒は若​い女性が米を噛んで作るもので、幕末の薩摩藩士・名越左源太​の『南島雑話』にも「みき」の記述があります。この本で​は、米を煮てさつまいもをすり下ろす現在の「みき」の作り方​にも触れられています。

食習の機会や時季

「みき」は古くから農作物の豊作を願う豊年祭などで作ら​れ、神に捧げられてきました。近年では専門店が増え、年​間を通して飲まれるようになり、特に食欲が低下する夏や​風邪の時に栄養補給として利用されることが多いです。

タコライス

歴史・由来

タコスはメキシコやアメリカにルーツがありますが、タコライス​は1980年ごろに沖縄県で生まれました。沖縄がアメリカの統治下​にあった際、アメリカ軍がタコスを持ち込み、ご飯と結びつきま​した。タコライスの発祥は金部町の米軍基地近くの飲食店で、創​業者がアメリカ兵のために安くお腹いっぱいになれる料理として​開発したとされています。スパイシーな味わいが人気を呼び、チ​ェーン店でも提供されるようになり、沖縄全体に広まりました。

食習の機会や時季

現在、具材やタコミート、ソースの味付けに個性を出した​タコライスを提供する店が増えています。また、タコミー​トのレトルトパックがスーパーマーケットで購入でき、自​宅でも気軽に楽しめるようになりました。弁当店やファミ​リーレストランでも提供されており、沖縄県民にとっては​大人から子供まで愛されるメニューの一つです。

沖縄県